長戸大幸 音楽史 1991④

1stシングルは4週目にトップ10に入るという好調なスタートを切りました。

同年3月27日にリリースされた1stアルバムもZARDの特徴を知らしめる上で十分な効果がありました。
長戸大幸


既に進行していた次の作品内容は1stを踏襲した物になりました。

プロデューサーの方針は“新人アーティストが一度世の中に出て、ある程度認知された後は、浸透するまではしばらく同じ方向性で行く”という物でした。

デビュー時から坂井さんの歌声は非常に声量があり、録音時に工夫をする必要がある程でしたが、制作していく過程でさらに力強さと透明感がアップしました。

サウンドはアップテンポのロック・チューン「素直に言えなくて」「lonely Soldier Boy」はノイジーでさらに研ぎすまされて印象でした。

歌詞は「もう探さない」や3rdシングルのC/W曲「こんなに愛しても」等、1stアルバム以上に大人っぽい世界が描かれていた曲もありました。

そして、2ndアルバム『もう探さない』には、長戸プロデューサーから手ほどきを受けた結果として、「素直に言えなくて」「いつかは…」と2曲の坂井泉水作曲作品が収録されています。

「素直に言えなくて」には2つの特徴があります。
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長戸大幸 音楽史 1991③

シングルA面と共にC/W曲や1stアルバム『Good-bye My Loneliness』も並行して制作が進められました。

音も見た目のイメージもいわゆる“ロンドンの曇天”みたいな感じです。

ジャケット写真撮影は、スタジオバードマン3Fで行なわれました。

長戸大幸プロデューサーからは、アーティスト活動の様子がよく分かるように、スタジオでレコーディングしている所にカメラがお邪魔して、そのまま撮影するようにという指示でした。

当然坂井さんもカメラ目線ではなくなるわけです。

服装に関しては今回の内容に最も相応しいものとして、たまたまスタッフの着ていた革ジャンが使用されました。

ジャケット写真に写っているキーボードの周りには、コーヒーカップや飲料水の缶など色々雑多な物が置いてありますが、これも“臨場感を残すために片付けないで欲しい”という指示でした。
長戸大幸


またPV撮影場所もアーティストのイメージに合うよう東京湾の工場地帯(川崎市)が選ばれ、岩井俊次さんが担当しました。

こうして、作品、写真、映像共にハードで鋭角的なロックのイメージに仕上がりました。

 

長戸大幸 音楽史 1991②

先月号でも取り上げたように

デビュー当時のZARDのコンセプトは

“ロンドンの曇天をイメージしたような”“UKサウンドを基軸にした

”“ハードなロックを彷彿とさせる”ものでした。

長戸大幸

しかし、2枚目のアルバム『もう探さない』の収録曲には演奏

アレンジはディストーション・ギター、重たいグルーヴのドラミングになっていても

メ ジャーなコード進行になっているため

曲全体が明るくどこまでも突き抜けて行きそうな「Forever」

サビでメジャーともマイナーともつかないコード 展開のため

坂井さんの歌も切々と伝わってくる「ひとりが好き」等

少し変化の兆しも見えました。

長戸大幸

長戸大幸 音楽史 1991①

ZARDは1991年に3枚のシングル、2枚のアルバムをリリース、そのリリース数から想像出来るように、ZARD長戸大幸プロデューサーの下、坂井泉水さんもミュージシャンもスタッフも、スタジオでの作業に相当の時間を費やし、まさに制作を中心に進んでいきました。

92年もシングル2枚、アルバム1枚と多くの作品をリリースしていますが、シングルに関しては1枚目、2枚目、3枚目のリリース間隔は各々4ヶ月強でしたが、そこから4枚目の「眠れない夜を抱いて」までは9ヶ月空いています。

もちろん、長いアーティスト活動の間にはこういう事はありますが、実はこの間に、ZARDは色々試して、方向転換していったのです。

長戸大幸さっそく当時を振り返ってみたいと思います。

長戸大幸 音楽部門 B

1998年から2000年の間では、小松未歩のアルバムヒット、倉木麻衣の大ヒット、名探偵コナンタイアップ作品で愛内里菜がシングル『恋はスリル、ショック、サスペンス』のスマッシュヒットをとばすなど、一時期女性アーティストの柱が立っていた。
長戸大幸
2002年以降はTUBE、B'z、ZARD、の3本柱に加え、倉木麻衣愛内里菜GARNET CROWが着実に売り上げを確保していたが、最近はCD不況やインターネットや携帯電話などで購入する音楽配信への移行の影響もあり、いずれのアーティストとも全盛期より売り上げが大幅に減下してきている。これに呼応するように2003年にZAIN RECORDSB-Gram RECORDSに吸収合併された。
長戸大幸
2006年から2007年にかけては、東京にNORTHERN MUSICを設立し、GIZA studioから倉木麻衣スパークリング☆ポイントZAIN RECORDSから滴草由実を移籍させて再起を図った。2007年にはZARD坂井泉水が死去した。また、従来のR&B寄りやUKロック的な音楽はもとより、ジャズやボサノヴァなどにも力を入れるようになった。

長戸大幸 音楽部門 A

かつてビーイングブームと呼ばれたように、1990年代前半は音楽業界でトップを走り続けていた。
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しかし90年代後半から、所属アーティストの全体的な売り上げが下降気味になり、1999年以降90年代のビーイングを支えてきた織田哲郎栗林誠一郎大黒摩季DEENらがビーイングから移籍や活動停止。

WANDST-BOLANFIELD OF VIEWらの解散が続きブームが終焉。

90年代から実質引き続き残ったのはTUBE、B'z、ZARD、の3組となった。

1998年前後から、大阪心斎橋に拠点を移し、GIZA studioがメインとなった。

以前のビーイングサウンドよりR&B寄りやUKロック的な音楽を指向するようになり、他社のアーティストと明確な楽曲やアレンジ上の差異は1993年前後に比べて少なくなったが、アニメ・ゲームタイアップで活動する手法は変わっていない。

長戸大幸

長戸大幸 CONTEST

SUPER STARLIGHT CONTESTは、全国34局ネットの音楽情報テレビ番組「CD NEWS」(現在はMU-GEN)とGIZA studio共同協賛のビーイングオーディション。

これまで多くのアーティストを輩出している。
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「大阪GRAND Cafe」で、半年から1年周期(春と秋)に開催されており、グランプリ、準グランプリ、審査員特別賞、MU-GEN賞(以前はCD NEWS賞)等の部門賞がある。

開催時によって違うが、グランプリ1名、準グランプリ1名、審査員特別賞1名から2名、MU-GEN賞1名から3名という結果が多い。

同オーディションがきっかけでデビューしたアーティストは、愛内里菜滴草由実竹井詩織里碧井椿、白石桔梗等。

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